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宇都宮地方裁判所 昭和35年(ワ)57号 判決 1961年11月14日

原告

浦辺泉一郎

被告

上野重男

外四名

主文

一、被告上野重男、被告栃木みずしま株式会社は、各自原告に対し、金七十七万六千円及び右金額につき昭和三十五年四月二十一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告上野重男、被告栃木みずしま株式会社に対するその余の請求、及び被告小平勝重、同小平久雄、同小平藤十郎に対する請求は、これを棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告上野及び被告会社の負担とする。

四、この判決は、原告勝訴部分に限り、原告において金十五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

(原告の請求の趣旨及び原因)

原告訴訟代理人は「被告等は各自原告に対し、金百万円、及びこれに対し被告上野重男、同栃木みずしま株式会社、同小平勝重は昭和三十五年四月二十一日から、被告小平久雄は昭和三十六年四月二十三日から、被告小平藤十郎は昭和三十六年四月二十四日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

(一)  被告栃木みずしま株式会社は自動車販売を目的とする会社であり、被告小平勝重と訴外小平重吉は本件事故発生当時右被告会社の代表取締役であり、被告上野重男は本件事故発生当時被告会社の販売員で自動車の運転手であり、被告小平久雄、同小平藤十郎は被告会社の代表取締役であつた右小平重吉の死亡(昭和三十五年四月三日)によりその相続人となつたものである。

(二)  原告は、昭和三十三年十二月十九日午前七時過頃、栃木県河内郡上三川町大字坂上地内の県道(通称結城街道)を軽二輪自動車を運転して南進して行つたところ、同街道を北進して来た被告上野重男の運転する被告会社所有の商品たる自動三輪車(仮ナンバー栃三〇号)が原告の軽二輪自動車に衝突し、これがため原告は右大腿皮下骨折及び右下腿挫滅創の傷害を蒙り、同日栃木県下都賀郡石橋町所在の石橋病院において右下腿切断の手術を受け、その後も引続き昭和三十五年四月十四日まで同病院に入院して数回の手術を受けるに至つた。

(三)  右事故は全く被告上野重男の過失に基くものである。

(1) 当時、原告は被告上野重男の運転する車が時速四十粁位の速度で暴走して来るのを認めたので、原告は自分の車を止め、道端の東側に存する垣根につかまつて待避していた。

(2) 事故地点の道幅は、当時僅かに三米位(その後道路拡張により現在は略二倍の道幅になつている)であつて、大型トラツクなどは前記垣根とすれすれに通過するような状態であつたのであるから、このような場所で他の車が待避しているとき、これとすれ違おうとする自動車運転手は、一時停車するか又は減速徐行して他の車と接触しないよう事故の発生を未然に防止する義務がある。

(3) しかるに、被告上野は右のような注意義務を怠り、殆んど速力をおとすことなく暴走したため本件事故が発生したものである。

(四)  よつて被告上野は直接の不法行為者として、被告会社は被告上野の使用者として、被告小平勝重及び訴外小平重吉は使用者に代つて事業を監督する者として、原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。而して被告小平久雄、同小平藤十郎は、訴外小平重吉の死亡による遺産相続によつて、同人の負担する損害賠償義務を承継したものである。

(五)  本件事故により、原告の蒙つた損害は次のとおりである。

(1) 原告は明治四十三年四月二十七日生れで、上三川町において「浦辺モータース」の商号を以て軽自動車の販売修理を業とし、月平均四万五千円の利益を挙げていたのであるが、本件事故により、原告は昭和三十三年十二月一九日から昭和三十五年四月十四日まで四百八十一日間前記石橋病院に入院し、その間右業務に従事できなかつたことによつて、七十二万千五百円の得べかりし利益を喪失した。

(2) 前記石橋病院における医療費(但し昭和三十二年十二月十九日から昭和三十五年三月三十一日までの分)として、十七万四千九百二十七円を要した。

(3) 入院中医療費以外の諸雑費(交通費、附添人費、来客茶菓代等一日平均三百円の割合)として、十四万四千三百円を要した。

(4) 原告は退院時満四十九歳であり、厚生省第九回生命表(修正表)によれば、四十九歳の男性の平均余命は二二、三二年である。原告は本件事故により右足を失つたからその稼働能率は三分の一減少し、即ち一日平均五百円、一年平均十八万円の収入が減少した。いま、将来得べかりし収入の減少額を一時に請求するので、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して計算すれば二百四十七万四千百円となり、原告は同額の損害を蒙つた。

(5) 原告が本件事故によつて蒙つた肉体的及び精神的苦痛に対する慰藉料は、五十万円をもつて相当とする。

(6) よつて原告の損害は、以上合計四百一万千八百二十七円である。

(六)  ところで原告は、右の損害のうち自動車損害賠償保障法により昭和三十四年六月十八日までに十万円の支払を受けたから、これを差引いた三百九十一万千八百二十七円の損害賠償を被告等に請求しうるのであるが、本訴においてはその内百万円の支払を求める。以上のように述べた。

(被告等の答弁及び抗弁)

被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり答弁した。

被告上野重男の答弁として、

(一)  原告主張の請求原因事実第一項は認める。

(二)  第二項中、原告の入院日数は争い、その余は認める。

(三)  第三項中、本件事故当時の現場の道幅が三米位であつたことは認めるが、その余は争う。本件事故は被告上野の過失によるものではない。

(四)  第四項は争う。

(五)  第五項は争う。

(六)  第六項中、原告が自動車損害賠償保障法により十万円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。

被告会社、被告小平勝重、同小平久雄、同小平藤十郎の答弁として、

(一)  原告主張の請求原因事実第一項は認める。

(二)  第二項中、当日被告上野の運転していた自動三輪車が被告会社の所有であつたことは認めるが、その余は争う。

(三)  第三項は争う。

(四)  第四項は争う。仮りに被告上野に過失があつたとしても、被告上野は被告会社の業務執行中に事故を起したものではなく、また被告会社はその選任監督につき注意を怠らなかつたから被告会社に責任はない。また被告会社の代表取締役は民法第七一五条第二項の使用者に代つて事業を監督する者ではないから、被告小平勝重及び訴外亡小平重吉の相続人たる被告小平久雄、同小平藤十郎にも責任がない。

(五)  第五項は争う。

(六)  第六項中、原告が自動車損害賠償保障法により十万円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。

以上のように述べた。

(証拠関係)(省略)

理由

(一)  被告会社が自動車販売を目的とする会社であること、被告上野重男が本件事故発生当時被告会社の販売員で且つ自動車の運転手であつたこと、被告小平勝重及び訴外小平重吉は当時被告会社の代表取締役であつたが、小平重吉は昭和三十五年四月三日死亡し、被告小平久雄同小平藤十郎がその相続人であること、などについては全当事者間に争いがない。

(二)  ところで、昭和三十三年十二月十九日午前七時過頃栃木県河内郡上三川町大字坂上地内の県道(通称結城街道)において、原告が乗つていた軽二輪自動車と被告上野が運転していた被告会社所有の自動三輪車とが衝突したことは、弁論の全趣旨に徴して明かであるが、右事故の原因及びその責任について当事者間に争いがあるので、まずこの点を検討する。

成立に争いない甲第一乃至第三号証、甲第九第十号証、乙第一乃至第七号証、乙第九号証と、証人小池源一、同秋山喜作、同町田広彦、同須賀元吉、同早瀬利夫、同国分為吉、同手塚貞夫の各証言、並びに原告本人、被告本人上野重男(第一回)の各供述、及び当裁判所における検証の結果を綜合すると、次のような事実が認められる。

(1) 事故現場である上三川町大字上五五五番地町田広彦方及びその北隣五五二番地町田久平方の西側を南北に走る県道は、本件事故が発生した昭和三十三年十二月十九日当時においては、西方にふくらんだ内角一六〇度のカーブになつており、北方から町田久平方宅地の門道の所までは道路拡張工事によつて道幅が約四米七〇糎位になつていたが、それより南の町田広彦方宅地の西側は未だ道路拡張工事が行われず、道幅は約三米六〇糎位で、道路の東側町田広彦方宅地との境界は土を盛り上げて土手のようになつており、その上に生垣があつて、右土手と生垣が前記町田久平方門道の以南において東から西へ突き出したような格好になつており、その上右生垣の東側は竹藪になつていてその竹が西側道路の上に蔽いかぶさり、以上のような状態にあつたため見透しは不良の状況にあつた。(その後昭和三十四年三月頃町田広彦方西側も道路拡張工事が行われた結果、現在では前記カーブが殆んどなくなり、見透しも良くなつている)。

(2) 事故当日の朝、原告は所用のため軽二輪自動車に乗つて右県道を約三〇粁位の速度で南進し、午前七時五十分頃前記カーブに差しかかつた際、見透しが悪いため、町田久平方西側附近において道路の中央より稍西側(右側)を進行したところ、約五、六〇米前方から被告上野が運転する自動三輪車が相当早い速度で北進して来るのを認めたので、原告はこれと擦れ違うため自己の軽二輪自動車の速度を落し、道路の東側(左側)に寄つて徐行し、町田久平方門道を越えてその南方即ち町田広彦方の生垣が西へ突出して道幅が一段と狭くなつている所へ差しかかつた。

(3) 一方被告上野は前記被告会社所有の自動三輪車を運転して右県道を約四〇粁位の速度で北進し来り、前記カーブに差しかかつたとき速度を三〇粁位に落し、町田広彦方宅地の西側附近に来た際、進路北方約三五米位の地点に原告が軽二輪自動車に乗つて南進して来るのを認めたが、原告が速度を落して道路の東側の方へ寄つて行つたので、被告上野は原告と町田久平方門道附近の道幅が広くなつている所で擦れ違うことができるものと軽信し、自己の運転する自動三輪車の進路を道路中央より幾分西側に寄せ、速度を二〇粁位に落しただけで北進したところ、予期に反して原告の軽二輪自動車が町田久平方門道の前を通り抜けて前記町田広彦方生垣角の道幅が最も狭くなつている所に進んで来たので、これを四米程手前で知つた被告上野は急制動をかけたが間に合わず、右道幅の狭くなつている角から南へ約一米位の個所で、被告上野が運転する自動三輪車の右側前部ライトの附近が原告の軽二輪自動車に接触し、原告は軽二輪自動車に跨つたまま、道路東側の町田広彦方の土手及びその上に生えている生垣にもたれ掛るような格好で倒れ、被告上野運転の自動三輪車は右衝突後間もなく停つた。

以上の事実を認めることができ、右認定に牴触する原告本人並びに被告本人上野重男の各供述部分、及び前掲証人国分為吉同手塚貞夫の各証言部分、及び乙第二第三第六第七第九号証の各記載部分は当裁判所は採用しない。

而して以上認定の事実によれば、右のように道幅が狭く且つカーブしていて見透しが不良の場所において、殊にその前方から自分の方に向つて進行して来る軽二輪自動車等がある場合には、自動車運転手としては出来る限り道路の左側に寄り、且つ安全に擦れ違うことができるように一旦停車するか又は速度を落して最徐行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を要請せられるのであるが、被告上野は斯る処置をとらず、原告が道幅の広い所で待避するか又は其処で擦れ違い得るものと軽信し、進路を道路中央より稍左側に寄せ速度を二〇粁位に落したのみで漫然進行したために、前記原告の軽二輪自動車と接触事故を惹起したもので、被告上野に過失責任があることは明かである。

然しながら一方原告側においても、前述の如き場所においては、被告上野の運転する自動三輪車が出来るだけ道路の端に寄り且つ最徐行するであろうと軽信することなく、より安全に擦れ違い得る町田久平方西側の道幅の広い所で待避しているべきであつて、それをせずに右の如く軽信して道幅の狭い所に出て行つたことは、原告側にも過失ありと言うべく、従つて本件損害賠償の額を算定するに当つては、被害者たる原告の過失も斟酌すべきものである。

(三)  次に被告上野重男の使用者である被告会社の責任について検討する。

自動車損害賠償保障法は民法の特別法であるから、自動車事故による身体生命の損害については同法が優先して適用される。而して本件事故の際に被告上野か運転していた自動三輪車が被告会社の所有に属すること、及び被告上野は被告会社が使用している運転手であることについては、被告会社の自認するところである。

そうすると被告会社は自動車損害賠償保障法に所謂本件事故を起した自動車の保有者であつて自己のために自動車を運行の用に供するものに該当するから、その運転手たる被告上野が右自動車の運行によつて原告の身体を害したことによる損害を賠償する責任を有するものというべきである。(この点につき原告が同法の定めるところにより十万円の賠償金の支払いを受けたことは当事者間に争いないところである)。

ところで被告会社は、本件事故は被告会社の被用者たる被告上野が被告会社の業務執行のための運行によつて生じたものではないから被告会社に責任がないと争い、更に若し然らずとしても被告会社は被告上野の選任監督につき注意を怠らなかつたから被告会社に責任がないと抗弁するので、以下にこの点を検討する。

証人小平新の証言と被告本人上野重男の供述(第一・二回)とによれば、被告上野は本件事故の前日、被告会社の自動車を売込むため、同会社の許可を得て商品たる本件自動三輪車を運転して出発し、鹿沼市方面において販売外交の業務に従事し、同日夕刻右販売の応援に来ていた被告会社の赤塚課長を新鹿沼駅まで送り届けたが、同日は時刻が遅く且つ夕方から雨が降り出したので、被告上野は右自動三輪車を被告会社まで持帰ることを断念し、別に被告会社に連絡して許可を得ることもせず、そのまま鹿沼市から右自動三輪車を運転して河内郡南河内村大字三王山の自宅に帰り、翌朝右自動三輪車を被告会社に返すため自宅から宇都宮に向つて行く途中、本件事故を起したものであることが認められる。而して右のような事情にある以上、たとえ被告上野が被告会社の内規に違反して被告会社の許可をうけないで右自動三輪車を自宅に持帰つたにしても、それは単に被告会社内部の統制の問題にすぎないものであつて,翌朝その車を被告会社に返すために運転して行つたことは、その行為を客観的に観察して被告上野が被告会社から課せられている販売外交員としての業務執行の継続中とみるのが相当である。

なお前記証人の証言、並びに被告本人上野重男の供述、及び右証言によつて被告会社の事務所や販売外交員控室などに貼られていた「ビラ」であることが認められる乙第八号証、及び成立に争いない甲第四号証によると、当時被告会社では、販売外交員が自動車を持つて売込みに出掛ける場合には一々会社の許可を得ることになつており、持ち出した車は売れても売れなくても原則としてその日のうちに車を会社に持ち帰ることになつており、事情によりその日のうちに車を持ち帰ることが出来ない場合には会社に連絡して承諾を得ることになつており、そのことは紙に書いて会社内に告示してあり、また各販売外交員にも言つてあることが認められるが、他面被告上野は道路交通取締法違反により前科二犯あるのに拘らず被告会社ではこれを知らずに雇い入れ、同人に対して何等別段の注意を払つていなかつたことが認められるから、右の如き事実のみによつては、未だ被告会社が被用者たる被告上野等に対する選任監督につき相当の注意をしたものと認めるに足りない。のみならず自動車損害賠償保障法第三条によれば、自己のために自動車を運行の用に供する者は、(イ)自己及び運転者が自動車の運行に関して注意を怠らなかつたこと、(ロ)及び被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと、(ハ)並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたこと、の三要件を主張立証するのでなければその責任を免れないのであつて、本件において被告会社は以上三要件の主張立証を尽していない。

そうすると被告会社は、その運転者たる被告上野の本件事故につき、該自動車の保有者として損害賠償の責任を負わねばならない。

(四)  更に被告小平勝重、同小平久雄、同小平藤十郎の責任について検討する。

本件事故発生当時、被告小平勝重及び訴外小平重吉が共に被告会社の代表取締役であつたこと、及び小平重吉は昭和三十五年四月三日死亡し、被告小平久雄同小平藤十郎がその相続人であることは冒頭記載の如く当事者間に争いがない。

ところで原告は、被告会社の代表取締役たる者は使用者たる被告会社に代つて事業を監督する者であるから、民法第七一五条第二項により責任があると主張するのであるが、元来民法第七一五条第二項は、使用者に非ずして使用者に代つて事業を監督する者、例えば工場長とか事業場の監督者などを対象として定められた規定であつて、会社が使用者である場合、その代表取締役は即ち使用者を代表する者であるから、代表取締役については当然には民法第七一五条第二項の適用があるとは言えない。

然しながら代表取締役が使用者の代表であると共に、実際に自らその事業の執行を監督しているような場合には、その代表取締役たる人は、使用者の代表であると同時に、使用者に代つて事業を監督する者として、二つの地位を併有する者であるから、このような代表取締役に対しては民法第七一五条第二項の適用があるというべきである。

ところで本件において、被告小平勝重及び訴外小平重吉が本件事故当時被告会社の代表取締役であつたことは先に述べた通りであるが、同人等が代表取締役であると同時に、自ら実際に事業の執行を監督していたことを認めるに足る証拠がなく、却つて証人小平新の証言によると、当時は被告会社の専務取締役たる高山某が事業の執行を監督していて、代表取締役たる小平勝重、同小平重吉等は常に被告会社に出勤して実際に事業の執行を監督していたわけではないことが認められる。そうすると被告小平勝重及び訴外小平重吉に対しては民法第七一五条第二項を適用すべきではなく、従つて小平重吉の相続人たる被告小平久雄同小平藤十郎も小平重吉の責任を承継するいわれがない。

(五)  よつて次に、本件事故によつて原告が蒙つた傷害並に損害、及びこれに対して被告上野重男及び被告会社が支払うべき賠償の額について検討する。

原告本人の供述と右供述によつて成立が認められる甲第五号証、及び成立に争いない甲第六第七第八号証を綜合すると、次のことが認められる。

(1) 原告は本件事故により、右大腿皮下骨折及び右下腿挫滅創の傷害を蒙り、事故当日栃木県下都賀郡石橋町所在の石橋病院において右下腿切断の手術を受け、引続き同病院に入院して数回の手術を受け(以上の事実は被告上野も争わない)、昭和三十五年四月一四日に漸く退院した。

(2) 而して右石橋病院における医療費は、昭和三十三年十二月一九日から昭和三十五年三月三十一日までの分として合計金十七万四千九百二十七円を要した。

(3) なお右入院中に要した医療費以外の諸雑費は、原告本人の供述のみでは必ずしも明白ではないが、入院中或る期間は附添婦をたのみ、又は家族の者が附添人として赴き、見舞人が来れば茶菓位は出すであろうことは社会通念上も十分推認できることであるから、之等附添人費、交通費、来客用茶菓代その他の諸雑費として一日平均二百円を要したものと算定するのを相当と考え、この割合によれば入院日数四百八十一日間で合計九万六千二百円となる。

(4) 右入院中における原告の得べかりし利益の喪失については、原告は上三川町において「浦辺モータース」という商号のもとに自転車、軽自動車の修理販売業を営み、その収入によつて妻子等家族五人を養つていたもので、原告本人の供述のみによつてはその収入は必ずしも明かではないが、右の事実から考えてその収入は月平均三万円と認めるのを相当とし、右入院中原告が右営業をなし得なかつたことによる収入の喪失は四百八十一日間で合計四十八万一千円となる。

(5) 更に原告の退院後における得べかりし利益の喪失については、前述のように原告が右片足を失つた状態のもとでは、その稼働能力は従前よりも三分の一減少したものとみるのが相当であり、原告は退院時満四十九才であるが、厚生省第九回生命表によれば四十九才の男子の平均余命は二二、三二年であるから原告の労働可能年数を今後十年と認めるのが相当であり、前述の如く原告の従前の収入を月額三万円とみると、その三分の一の稼働能力の減少による十年間の収入減少は百二十万円となり、これを一時に請求する場合、ホフマン式計算法により中間利息を控除すると、その額は八十万円となる。

(6) 従つて以上合計金百五十五万二千百二十七円が原告の本件事故によつて受けた財産上の損害と認められるが、既に述べたような原告の過失を斟酌すると、原告においてその損害の半分を負担すべきものと認めるのが相当であるから、被告上野及び被告会社が賠償すべき金額は七十七万六千六十三円となる。

(7) なお原告の肉体的精神的苦痛に対する慰藉料は、原告が受けた負傷の部位程度、原告側に存する過失の程度、その他諸般の事情を斟酌して金十万円を相当と考える。

(六)  そうすると、原告が被告上野及び被告会社に対して請求し得べき賠償額は前記(五)の(6)及び(7)の合計金八十七万六千六十三円であるが、前に述べたように原告は既に自動車損害賠償保障法により金十万円の支払を受けているからこれを控除し、被告上野と被告会社(両者は不真正連帯債務者)は各自原告に対して金七十七万六千円(六十三円を切捨)、及びこれに対する本訴状送達の翌日たる昭和三十五年四月二十一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務あるものと判断する。

(七)  よつて原告の被告上野重男及び被告会社に対する請求中、以上に判断した限度における請求を認容し、その余は失当として棄却し、なお被告小平勝重、同小平久雄、同小平藤十郎に対する請求は理由がないから棄却し、訴訟費用は三分してその一を原告負担、他を被告上野重男及び被告会社の平等負担と定め、なお原告勝訴の部分につき仮執行を許容し、主文の通り判決する。

(裁判官 石沢三千雄)

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